健全な精神は健全なiPodに宿る
……って本当ですか?
我々取材班アマゾン奥地……
▲神秘へ……
「本当です。」
本当らしい。なぜだろうか?
我々取材班さらなるアマゾン奥地……
「音楽を聴く行為は、聴覚的娯楽であると同時に関連コンテンツの追体験でもある。不健全な、即ちオタク要素にまみれたiPodは精神のオタク性を保つはたらきがある。」
???わからない???
もっと詳しい解説が欲しいのに。
我取班更々ア奥……
「私がお答えしましょう」
識者がいたので、訊いた。
以下はその概略だ。
人間は忘れる生き物である。
幼少期の記憶から今朝見た夢まで分け隔てなく、少しずつゆっくりと忘れていく。
しかし当然例外はある。自分の名前や住所を忘れる人間はまずいないだろう。
この差は何か?
それは「復習」である。
こういうのを見たことがないだろうか。
このグラフは忘却曲線といって、昔のなんか偉い人がなんか調べた結果である。
赤が何もしなかったときの定着度合いで、復習するごとに上へ上へとアップグレードされていくのだ。たぶん。
俺の知識はわたあめのようにフワフワとしているが、それでも読み取れることはある。
『たくさん復習すると、だんだん忘れにくくなる』だ。
ここで、「復習」効果を持つ行為が意外とたくさんあることに気をつけたい。
名前を呼ばれるたび、持ち物に名前を書くたび、あるいは家の表札を見るたびに自分の名前の記憶は刷り込まれていくのだ。
ものごとを記憶する方法は、オレンジペンと赤い下敷以外にもたくさんある。五感がもたらすあらゆる情報を介して、記憶は繋がっているのだ。
本題に入る。
まず円グラフを見てもらおう。
俺の音楽プレイヤーにおける、オタク関係とそれ以外の比率である。
はい。
多いな〜 与党じゃん
こんな調子でオタク濃度が非常に濃いことが見てとれる。
毎日、往復の通学路と昼休みで都合3時間くらい音楽を聴いているので、単純計算だが俺の脳は毎日2時間15分もの間オタク聴覚奔流に晒されていることになる。
このとき発動するのが、前述した忘却曲線の原理だ。
意識・無意識に関わらず、関連した情報を知覚することには復習効果がある。
この原理のもと、オタク音楽を聴くことは即ち脳のオタク野を刺激することであり、オタク皺をより一層深くするものだと換言できる。できてしまう。
バンドの名前/作風/メンバーのプロフィール程度の情報としか結ばれていない音楽、あるいは、他のコンテンツと関係していない音楽を聴く分にはこの現象が生じない。仮に生じたとしても、無視して差し支えない程の効果だろう。
【忘れる量】<【覚え直す量】の関係が成立した瞬間、その記憶は不動のものになる。
音楽を通して復習することは、右辺だけを恒常的に肥大させることと同義であり、日常に溶け込んだ装置がオタク記憶を永劫のものにする。怖…
▲「恐怖」のイメージ
ところでアマゾン川にはピンク色のイルカがいる。
淡水×ピンクで存在の謎さは二乗され、ティラピアとかと合わさりアマゾン川への恐怖は最高潮に達する。
やっぱアマゾン川が一番怖い…
(おしまい)